2013年8月3日土曜日

2013年夏:青春18 雨の会津若松

2013年7月30日(火)☂

帰り道だし西へ行けば、曇りくらいにはなっているだろう、
という予想もむなしく、会津若松も☂。

平日の雨にもかかわらず、ホテルもほぼ満室。
夏休みと大河ドラマの影響かな。
前夜早めに駅前の「残り1室」を確保した。

初めて宿泊する。ビュッフェ朝食付。
設備は少々古いけど、女性客にはアメニティグッズ
がサービス。ボディスポンジや足指スポンジがついていた。

部屋も予想より広かったが、ユニットバスは狭い。
でも清潔がなにより。

ボデイシャンプーなどはポーラだった。
フロントの受付スタッフもテキパキしていた。

さて、雨の日は観光名所廻りバスがあると非常に便利。
会津若松はいろんなバスが走っている。
そのネーミングがおもしろい。

☆ピカリン号・・・・公共施設、病院に止まる
☆エコろん号・・・・まちなか循環バス
☆ミナヅル号・・・・河東地域ミュニティバス
☆ハイカラさん・・・レトロな市内観光循環バス
会津若松観光ナビより

☆あかべぇ・・・・・名前の通り、赤いバス。ハイカラさんの逆廻り。
会津若松観光ナビより

30分間隔で運行していて、ハイカラ/あかべぇ専用一日乗車券
500円也が便利だった。日中は、女性運転手が多いみたいで
運転は、こまやか。
山陰の松江も同じような市内観光循環バスが走っていたっけ。

会津若松駅前 6番乗り場 9:15 始発




先ずはメインの鶴ヶ城へ。鶴ヶ城入口下車。
鶴ヶ城入口から北出丸大通りを見る
家老屋敷が建っていた通りで、西郷頼母邸跡がある。

北出丸入口
石垣は石を方形に整形して密着させている
北出丸が増築されたのは、加藤氏時代
1639年頃

若松城(鶴ヶ城)と言えば、戊辰戦争の悲劇の城で、どうしても
最後の藩主、松平容保が印象に残りやすいが、豊臣秀吉の賤ヶ岳
七本槍・七将の一人、加藤嘉明(孫六)とその子、明成の時代に
現在の鶴ヶ城の原型ができた。(会津若松市観光公社HPより)


角石(隅石)は初期の算木積み?
平面の石は不揃いで横目も通っていない
ので野面積みかな?


武者走りの階段

天守閣より北出丸方面
戊辰戦争で鶴ヶ城は砲弾にさらされ、天守閣も残ったものの
いまにも崩れ落ちそうな状態で、明治政府により取り壊された。
戊辰後の天守閣のオリジナル根がが、なんとイギリスは
ロンドンの書店で見つかったそうだ。

現在の天守閣は昭和40年に復元された。

茶室 鱗閣

可愛く朝顔の咲いている向こう側が
茶店になっていて、薯蕷饅頭(じょうようまんじゅう)
付お抹茶をいただいた。(500円)

お薄もさらっとした中にも抹茶の味が良く出て、
おまんじゅうの小豆餡も上品な甘さ。
おいしい和菓子に目のない連れ合いから、ほんのちょっと
分けてもらいました。

この後、福島県立博物館に行ったが、恐竜展をやっていて
館内は子供が多く、ベンチで休憩した後再びハイカラさんに乗車、
会津武家屋敷まで乗った。
博物館バス停後ろにある北越潜行の詩碑
秋月悌次郎は日新館を飛び級で卒業し、
江戸 昌平坂学問所に学んだ秀才。

司馬遼太郎著『峠』の中に、越後長岡藩 藩政改革を
行った河井継之助と秋月悌次郎との交流が描かれている。

秋月悌次郎は戊辰戦争で、降伏を決意した会津藩の意を受け、敵陣包囲網を
潜り抜け、米沢藩を通じて土佐藩と交渉、降伏・開城を取り仕切った。
その後、猪苗代に謹慎。その間に悌次郎は、西国遊学中に知り合った
長州藩士奥平賢輔と密かに越後水原で会い、その帰途 会津を憂いて
読んだ詩だそうな。


会津武家屋敷は、角館に行って来た後だったので、
てっきり武家屋敷通りが残っているのかと思ってしまった。
ミュージアムパークみたいになっていて
入館料850円也。
小学生くらいの勉強にはいいかも。我々はパス。

半日ではとても市内をゆっくり廻れそうにないので、
もう一泊することに決定。
ホテルもなんとか禁煙ツインを確保できた。


いったん荷物を預けたホテルに戻り、今夜宿泊のホテルに
荷物を預け直し&休憩。

雨は上がったが、盆地のため蒸し暑い。風は涼しい。

再び駅前からあかべえに乗車。
白虎隊19士が眠る飯森山へ。
階段しんどい方達用に右横に
動くスロープが設置されている
訓練、訓練とつぶやきながら、階段を登った

右からの道は、なだらかな坂を通って
上がってこられる
コンベアもここまで

19士の墓 墓参の人が絶えない
勝てば官軍、負ければ賊軍、
自刃した白虎隊の遺骸は葬られることを
禁じられ、半年間野ざらしになっていたそうだ。
見るに見かねた近在の方達によって密かに仮埋葬され、明治2年に
ようやく飯森山の中腹に合葬が許可された。

白虎隊自刃の地 
はるか鶴ヶ城を見晴るかす剣士の像

左手 紅白の尖塔のうしろに天守閣が見える
16、7才と言えば現代の高校生
若い命が散ってしまうのは、いつの時代でも
胸が痛む。

木造建築 珍しいサザエ堂
対向者に出会うこと無く、一歩通行でらせん階段を
上がり下りして出てこられる

江戸時代後期、関東から東北地方にみられた
仏堂だそうだ


サザエ堂から少し下り、厳島神社表参道を
出た所のお茶屋で休憩
会津のべこの 乳 牛乳
牛乳の自動販売機で売っていた。
美味しくてもう1本飲んだ
甲賀町口 門跡
蒲生氏郷の時代、城下の町割りを行い、武士の住む郭内と
町人の住む郭外とに分けた。
角館でいう、内町と外町。
「郭内と郭外の間は深い濠と土塁、16の郭門によって仕切られ
ました。外濠は、明治4年に田畑にする条件で払い下げられ、
埋められました。
甲賀口の石垣は只一つ残る郭門の一部です」(会津若松観光ナビHPより)

キノコ類の水煮
秋田県同様、福島もキノコ類が豊富

リオンドールという地元のスーパーで一休み。
おやつに甘エビの唐揚げを食す。これがまたおいいしい。
ビールのつまみにぴったり。

夕食は、お城からも近い、食べログに載っていた
桐屋権現亭という所へ行ってみたら、
あらあら、本日は貸切だと。予約しないと入れないお店?!

大正、明治時代のお店が所々ある通りを、駅の方へ歩いて帰る。
道の角でふと目についたおそば屋さん。

o(*≧◇≦)o″ダメッ!!もとで入ってざるそば大盛り注文。
がんこ 十割そば100%と壁に貼ってある。

一寸太めの充分すぎるくらい腰のあるそば。
満腹のお腹をなでさすりながら、ホテルへ。

会津若松 泊







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