あいにくの雨模様だが、ここまで来たら、
もう一つの山陰の小京都、倉吉も訪れようとなった。
8日はJR倉吉駅徒歩3分の
ビジネスホテル アーク21
に宿泊。旧倉吉市街まで
市内バスに乗る。
倉吉は韓流映画のロケ地
になったそうだ
旧市内
白壁土蔵群
人形店にしては人形が飾ってない
(@_@)
店内に入ってみた。昭和30年代の物を飾ってある
おひつ、ちゃぶ台、ポット
テレビ・・・・・
わあ〜懐かしい
生まれた頃の茶の間の情景
(生まれた頃やのによう覚えてるわ)
倉吉レトロ館ていうそうや
久米郡 倉吉駅
長瀬駅へ二里七町二十二間
赤崎駅へ五里二町三十八間
関金駅へ二里十八町五十六間
と彫ってある。
八橋(やばせ)往来に立つ道標
八橋往来に面した豊田家住宅
八橋往来は、伯耆の国の中心であった
倉吉と八橋(鳥取県琴浦町)を結ぶ
奈良時代からの街道だそうだ
八橋往来は、伯耆の国の中心であった
倉吉と八橋(鳥取県琴浦町)を結ぶ
奈良時代からの街道だそうだ
第53代横綱 琴桜記念館
淀屋という名前に惹かれて何気なく入った。
倉吉淀屋住宅
白い木は修復した跡
1760年建築の倉吉市に現存する
最古の町屋建物。
大阪の豪商淀屋と深い関係があったらしい
研究した方が居て、分厚い本を
自費出版されていた。
大阪の人間やったらたいがいの人が知っている。
淀屋橋を自分の家の前に架けた豪商。
五代目淀屋辰五郎の時に、米商の免許取り消し、家財没収
大阪を処払いという憂き目に遭い、歴史の舞台から消えてしまった、
と思っていた。
ところがどっこい、4代目重當は闕所(けっしょ:財産没収刑)
を予測して、鳥取県倉吉に牧田仁右衛門(番頭さん?)を派遣して
米屋を開かせた。牧田家当主はその後、大阪へ淀屋清兵衛として
店を出し、大阪淀屋を買い戻す。幕末機運の高まる頃、突如
大阪と倉吉の店を売却、その売却資金を倒幕資金として朝廷側に
献金して姿を消した、そうな。
大蓮寺
豪商淀屋ゆかりの寺
日本のお寺らしくない
歩き疲れて白いたいやきとたこ焼き
で休憩
JR倉吉駅で名探偵コナン君
に会った。
いい年して、大ファンです。
(*^o^*)♡♥
作者の青山剛昌氏が、倉吉から一つ
米子よりの由良という駅の近く
の出身だからそうだ。
知らんかった
帰りも米子から伯備線、新見経由
で帰る。
中国山地の分水嶺を越えたあたり
記念の18切符
今回は、山陰の小京都廻り
だけあって
和菓子のお土産
手前「若草」は、松江藩第七代藩主 松平出羽守治郷公
別名 不昧(ふまい)公お好みの三大名菓の一つだとか。
さっそく お薄を点てていただいた。
しっとりとした松江の町が気に入ってしまった。
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