2012年10月19日金曜日

2012年秋:富山市内は路面電車に乗って

2012年10月18日(木)雨

晴れれば、立山あたりまで行ってみたい、などどと連れ合いは
のたまう。自分は体調がもとに戻ったからいい気なものだ。

JR乗り放題パスの使用期限は、今日までだし、天気も終日雨、あめ。
3時位に富山駅に戻れば、今日中には家にたどり着けるので、
市内観光に

と、大通りにでると、


最新式の路面電車が走っているではないか\(^o^)/
新路線セントラムというらしい。
市内中心部を環状で結んで走っている。乗ってみたあい。

1日フリー切符を使って(800円/人)城南公園内、県立美術館と
廣貫堂資料館にしぼって行ってみることにした。
新富町電停から小泉町まで市電に乗車。
あいにくやって来たのは、古い型の市電。

乗り込むと、職員らしいお兄さんに、なにやらアンケート用紙を渡された。
どうやら市電利用回数や、乗車目的、乗車駅、降車駅の調査をしているらしい。
フリー切符は車内で買えるのか、などと質問していると、ワンマンの運転手
さんになにやら尋ねてくれて、800円のより乗れる範囲に制限があるが
600円フリー切符もあると教えてくれた。

おっとりしてて親切なスタッフの方。
それほど時間があるわけでもなく、一も二もなく600円を買う。

この銀色のバスで屋台にでるらしい。

特別展は、「デザインとしての椅子、アートとしての椅子」
時間がないので、今回は常設展のみ観た。これ、正解。

この美術館、常設展ⅠからⅤまであり、ピカソ、ルオー、
マティス、シャガール、ミロ、を始めとして郷土の美術家、
ポスターなどゆったりした館内にかなりの数が展示されている。

しかも、晴れていれば立山連峰が望めるという。
なんという素晴らしい立地。しかも、観覧料、200円!!!!

もう一泊富山にしたくなってきた。


製薬会社廣貫堂内 資料館入口
売薬と言えば「万金丹」と頭にあって、富山の売薬とばっかり思っていたけど、
富山売薬の始まりは、「反魂丹」だとか。
連れ合いの子供の頃には、まだ富山の置き薬が家にあったという。
なるほど史料の覚書帳には、昭和23年の訪問記録が読める。


六神丸などの薬のパッケージを懐かしそうに見て、一箱買ったではないか。

いまでも車やバイクを使って薬を届けているとか。
過疎地の高齢者宅へ置き薬の交換を兼ねての安否確認。
古いようで、最先端のシステム、しかも人と人の信用に支えられた
「先用後利」。ネットだなんでも買える時代だけど、間に人が居る
ことは、とても大事なことのように思える。

廣貫堂前から乗った市電に、最初に乗った時のスタッフのお兄さんに
また会った。調査用紙もらうのも三回目。

この調査用紙、ビンゴゲームのカードみたいに該当する箇所を
折り返して穴を開けるようになっている。

どうやって集計するのか聞いてみると、
なんと事務職員が総出で手作業で集計するらしい。
乗降数や利用回数が少ないのかしらん???

減便や路線縮小のための調査だったら、ちょっと悲しい。
もっと宣伝して、観光客にも乗ってもらいたい。

新旧電車のすれ違い

新路線セントラム車内
あまりの乗りごこちのよさに
2周してしまった(^O^)アハハ!!

美術館・博物館を無料で巡っている
ミュージアムバス ぐるりん
これも乗ってみたかったなあ
やっぱり、もう一日足りん

雨に煙る富山城址
廃藩置県で廃城となり、焼けたり、解体された。
見えるのは模擬天守閣で、富山市郷土博物館となっている。



電停との間に段差が無い
今まで乗った路面電車では、一番スマート
今回、足の負傷で特にそう感じるのかも。

桜並木の松川

昼食 またまた昨日夕食を食べた
越中茶屋さんで、白エビ天丼
はまってしまった

同じ物を頼むのは芸が無い
こちらは、昼の日替わり定食
海鮮丼とそば キトキトのまぐろ甘エビ
はまちがのっている

白エビコロッケを追加

特選館お土産物店で見た
なんと これかまぼこ
けっこう有名だそうで、ハロゥイン
のカボチャもあった

高山本線 越中八尾行き

「とこなつ」という和菓子
白小豆を求肥で包み、和三盆を振りかけてある。
平戸の烏羽玉のごま餡の代わりに白小豆を包んだ、小さいお菓子。
あっさりと上品な甘さ。
 「とこなつ」の命名は、大伴家持の歌
      立山に振りおける雪を とこなつに
      見れども飽かず 神柄(かむから)ならし

に因んでつけられたそうだ。
「とこなつ」は常夏ではなくて、四季を通じて、の意だそう。

大伴家持と言えば、奈良時代の歌人で万葉集の編纂に関わった人。
奈良時代に北陸まで来たの?
太宰府にも赴任していったらしいから、畿内から北陸まで
道はすでにあったのだろうけど、浅学にして北陸への足跡は知らない。


家持は、歌人であると共に役人でもあって、越中国の国守として
赴任した。国守は1年に1回、治める国を視察して回った。
馬や船を使って、珠洲市の方まで視察したという。

そうして各地を巡ったおりに、都では見られない風景に感動し、
220余りもの歌を残した、らしい。

JR氷見線に雨晴海岸という景勝地がある。
1400年余り昔、家持がこの海岸から雪積もる
立山連峰を飽きもせず、眺めていたという。

また近いうちに富山を訪れたい。
北陸新幹線が開通すれば、大きく変わるのだろうな。








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