2012年3月11日日曜日

熊野古道を歩く 中辺路④ 曼荼羅の道

バスツアーではなかなか距離が捗らないので、
今回は青春18切符を使って泊まりがけの古道歩き。
*熊野三山 復興祈願の旅*

事前検討の結果、宿泊日数が一番少なくて済む、
逆回りの、まず那智大社参拝の後、海沿いの中辺路を
歩き、大日越え、赤木越えで本宮に参拝、と計画を立てた。

2012年3月11日(日)晴れ
東日本大震災のこの日、早朝5:00起き。
大阪発07:06→和歌山発08:37→
御坊発09:58→紀伊田辺発10:53→
那智着13:26
駅横の観光案内センターで古道歩きの
地図と昼ご飯をゲット
案内センターには日帰りの風呂もある

観光案内の職員の方から、台風12号のため、山の中の道は歩けない、
とのこと。曼荼羅の道の中で一番古道らしいところなので、
ちょっとがっかり。とりあえず歩き始める。

今日のコース

国道を渡ってすぐのところに
浜の宮王子社跡
古い石垣が残るのみ
 補陀洛山寺(ふだらくさんじ)
補陀洛渡海で有名なお寺
 補陀洛山寺と補陀洛渡海のことは、内田康夫作「熊野古道
殺人事件」を読んで知った。「補陀洛」とはサンスクリット語の
「ポタラカ」の音訳で、南方の彼方にある観音菩薩の住む浄土の
ことらしい。南方の浄土を目指して小さな船で渡海すること、
すなわち捨身行のことを「補陀洛渡海」というとか。

平維盛と渡海上人の墓もあった。

補陀洛渡海に用いられた舟
屋形には扉が無い。
恐れながら背に腹は代えられず
補堕落山寺境内で昼食 13:50
お寺を出て那智山を目指す

旧道はほぼ県道の裏側の道だ。那智川に沿って県道の歩道を歩く。
杉の木バス停を過ぎ、滝もと橋を左に見てしばらく行くと、
石標が見えた。この辺りも歩道沿いの柵が川側へ、根元からなぎ倒されていた。

標識に従って民家のなかの道へ入る。橋を渡って・・・・・

が、橋が無い(≧△≦)
台風12号で流されてから復旧してないらしい
親切な地元のおじさんが、石の階段下から
石を置いて向こう側へ渡してくれた。
ありがとう おじさん(o^∀^o)
川を渡ると、山道の古道に入る 14:26

 源頼朝の妻、北条政子の建立した供養塔
14:40

はるか川の向こうが那智山

 旧道 川の氾濫の跡がまだ残る
空き地は、被災した家が取り壊され
更地になっている
こんな空き地がいたるところに
市野々王子社  15:00

ここから道は登り坂
二の瀬橋を渡ると大門坂入口
はすぐそこ
大門坂入口  15:30
みなかたくまぐす 何て読むのだろう、と
名前と天才的学者としか記憶になかった

翌年からは明治、坂本龍馬が亡くなった1867年に生まれている。
東京の大学予備門の同窓生には、夏目漱石、秋山真之、正岡子規
本多光太郎がいたそうだ。
いよいよ大門坂を登る
六町で大門跡 15:52
ここまで約2時間、今日の宿泊地 美滝山荘に荷物を置いて
那智の大滝へ。

美滝山荘の部屋から見える大滝
寒くて炬燵に足を突っ込んで寝た。





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